渋沢栄一の顕彰
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渋沢栄一翁(1840~1931)のすごさは、その多彩な交友関係においても、語り尽くせぬほどの量と質を誇っています。国内はもとより、海外、とりわけアメリカの友人との間に、深い交友関係を持ちました。
世界有数の食品メーカーとして知られるハインツの創業社長であるヘンリー・ジョン・ハインツ(1844~1919)と、その次男で二代目社長であったハワード・ハインツ(1877~1941)父子との友情もまた感動的なものです。
渋沢栄一翁は、その生涯において、都合四度のアメリカ訪問を果たしました。その二度目、明治四十二年(1909)、渡米実業団の団長としてアメリカを訪れた際、ピッツバーグのハインツ社を見学、そこで社長のヘンリーと初めて出会いました。次に、大正四年(1915)の三度目の訪米では、ピッツバーグに一泊し、その夜ハインツ家の晩餐に招かれましたが、話題はもっぱら宗教や信仰をめぐって展開され、両者の間には大いに友情が深まったのでした。次に、大正十年(1921)、最後の訪米になりますが、この時はハインツ家に二泊して旧交を温めています。すでにその前々年ヘンリーは他界しており、その次男ハワードとの間に、往時を回想して時のたつのを忘れたのでした。翌朝ハワードとともに、その父ヘンリーの墓に詣でた渋沢栄一翁は、花輪を捧げ、哀悼の誠を尽くしました。
その足で渋沢栄一翁たち一行は、同市にあるカーネギー博物館に展示されている日本人形のお披露目式に出席しました。それはヘンリーの寄贈になるものでしたが、三度目の訪米の際、その服装が時代的に混乱しているのを見て取った渋沢栄一翁は、その修繕方を引き受けたのです。数年が立ち修繕なったその日本人形は再び同館に収まり、渋沢栄一翁の最後の訪米に際してこれを迎えることとなりました。同館では、渋沢栄一翁の労をねぎらうため、ささやかではありましたが、心のこもった歓迎式典が催されました。
渋沢栄一翁がハインツ父子との交友を通して、最も感銘を受けたのは、実業という俗世間のことにたずさわりながらも、その精神においては、実に真摯なものがあり、常に社会公共のために尽くそうとするその姿勢でした。ここに日米の実業界における大きな違いを見た渋沢栄一翁は、こののちみずからも努力し、他人にも勧めて、常に真摯であろうと心がけました。
昭和二年(1927)の日米人形交換に先立ち、渋沢栄一翁とハインツ父子との間に交わされた友情の一コマです。
(新井慎一 記)
世界有数の食品メーカーとして知られるハインツの創業社長であるヘンリー・ジョン・ハインツ(1844~1919)と、その次男で二代目社長であったハワード・ハインツ(1877~1941)父子との友情もまた感動的なものです。
渋沢栄一翁は、その生涯において、都合四度のアメリカ訪問を果たしました。その二度目、明治四十二年(1909)、渡米実業団の団長としてアメリカを訪れた際、ピッツバーグのハインツ社を見学、そこで社長のヘンリーと初めて出会いました。次に、大正四年(1915)の三度目の訪米では、ピッツバーグに一泊し、その夜ハインツ家の晩餐に招かれましたが、話題はもっぱら宗教や信仰をめぐって展開され、両者の間には大いに友情が深まったのでした。次に、大正十年(1921)、最後の訪米になりますが、この時はハインツ家に二泊して旧交を温めています。すでにその前々年ヘンリーは他界しており、その次男ハワードとの間に、往時を回想して時のたつのを忘れたのでした。翌朝ハワードとともに、その父ヘンリーの墓に詣でた渋沢栄一翁は、花輪を捧げ、哀悼の誠を尽くしました。
その足で渋沢栄一翁たち一行は、同市にあるカーネギー博物館に展示されている日本人形のお披露目式に出席しました。それはヘンリーの寄贈になるものでしたが、三度目の訪米の際、その服装が時代的に混乱しているのを見て取った渋沢栄一翁は、その修繕方を引き受けたのです。数年が立ち修繕なったその日本人形は再び同館に収まり、渋沢栄一翁の最後の訪米に際してこれを迎えることとなりました。同館では、渋沢栄一翁の労をねぎらうため、ささやかではありましたが、心のこもった歓迎式典が催されました。
渋沢栄一翁がハインツ父子との交友を通して、最も感銘を受けたのは、実業という俗世間のことにたずさわりながらも、その精神においては、実に真摯なものがあり、常に社会公共のために尽くそうとするその姿勢でした。ここに日米の実業界における大きな違いを見た渋沢栄一翁は、こののちみずからも努力し、他人にも勧めて、常に真摯であろうと心がけました。
昭和二年(1927)の日米人形交換に先立ち、渋沢栄一翁とハインツ父子との間に交わされた友情の一コマです。
(新井慎一 記)
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-渋沢栄一翁の精神-
渋沢栄一翁が近代日本経済の草創・確立期において絶大な役割を果たしたことは皆様よくご存知のところかと思いますが、その真の偉大さは、「万人が富んでこそ真の社会の富」との信念の下、その実現のために生涯努力し続けたことにあるのではないでしょうか。
地球資源の涸渇化や地球の温暖化等、個人や企業はむろんのこと、国家レベルを超える問題に直面している今、渋沢栄一翁がめざした、互いに助け合い、互いに分かち合う、他者を尊重する互恵的世界観こそ、これからの時代を切り開いて行く基礎となるものであり、世界に向けて発信するに恥ずかしくないものと、確信いたします。
私ども渋沢栄一顕彰事業株式会社は、平成十八年十月、渋沢栄一翁の精神に学び、これを世に広めたいとの思いを共有する市民有志四十六名が集い、設立したものです。株式会社とは名ばかりの、あまりにも小さな会社ですが、渋沢栄一翁を主人公とした映画化の実現をめざし、さらに努力・精進してまいりますので、どうか皆様におかれましては、私どもの志を諒とせられ、ご支援・ご協力を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
渋沢栄一顕彰事業株式会社
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