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渋沢栄一の顕彰
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 渋沢栄一翁は、昭和六年(1931)十一月十一日、九十二歳で亡くなりました。その長い生涯をかけて、渋沢栄一翁が実現しようとしたものは何だったのでしょうか。

 まず、第一に、「官尊民卑(政府・官吏をたっとんで、人民をいやしむこと)の打破」ということがあげられます。
 十七歳の渋沢栄一翁が、岡部の陣屋の役人にさんざんに愚弄される話はあまりに有名ですが、この時の経験は、渋沢栄一翁に、家柄や身分によって人間が差別されることの非をさとらせ、そういうことのない社会の実現をめざすきっかけとなりました。数々の企業の創立や運営にたずさわった渋沢栄一翁ですが、こうした事業活動を通じて、優れた人物を育成し、民間の地位を高めることに努めました。

 次に「独占(利益を独り占めにすること)の排除」ということがあります。
 富というものは社会全体を富ましてこそ真の富であるといつも考え、そのように行動しました。明治十六年(1883)には、当時わが国海運業を独占していた岩崎弥太郎率いる三菱汽船を相手に、三井の益田孝らと共同運輸会社をつくり、果敢にこれに挑戦しました。また、明治二十六年(1893)には、同じく海外航路を独占していたイギリスのピーオー汽船に対抗して、日本郵船の広島丸を神戸より出航させ、わが国初の海外航路をインドとの間に開きました。

 最後に、心から「世界の平和」を願いました。
 特に、日米親善には心を砕き、四度の訪米をはじめ、日米同志会や日米関係委員会の活動を通じて、アメリカの政府関係者・学者・実業家などとの交流をはかり、互いの理解を深める努力を重ねました。

 いま、世界は、いたるところで、戦争があり、貧困があります。渋沢栄一翁のめざした社会は、いまだ実現されていません。この意味で、渋沢栄一翁もまた、志なかばに散った者の一人であるというほかありません。郷土を同じくする者のつとめとして、渋沢栄一翁の果たせなかった志を受け継ぐ一人でありたいと、切に願っています。
(新井慎一 記)
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渋沢栄一翁 世界に向けて発信するに恥ずかしくないもの
-渋沢栄一翁の精神-

 渋沢栄一翁が近代日本経済の草創・確立期において絶大な役割を果たしたことは皆様よくご存知のところかと思いますが、その真の偉大さは、「万人が富んでこそ真の社会の富」との信念の下、その実現のために生涯努力し続けたことにあるのではないでしょうか。

 地球資源の涸渇化や地球の温暖化等、個人や企業はむろんのこと、国家レベルを超える問題に直面している今、渋沢栄一翁がめざした、互いに助け合い、互いに分かち合う、他者を尊重する互恵的世界観こそ、これからの時代を切り開いて行く基礎となるものであり、世界に向けて発信するに恥ずかしくないものと、確信いたします。

 私ども渋沢栄一顕彰事業株式会社は、平成十八年十月、渋沢栄一翁の精神に学び、これを世に広めたいとの思いを共有する市民有志四十六名が集い、設立したものです。株式会社とは名ばかりの、あまりにも小さな会社ですが、渋沢栄一翁を主人公とした映画化の実現をめざし、さらに努力・精進してまいりますので、どうか皆様におかれましては、私どもの志を諒とせられ、ご支援・ご協力を賜りますよう、心からお願い申し上げます。

 渋沢栄一顕彰事業株式会社

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