渋沢栄一の顕彰
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幕末から明治、大正、昭和の初期へと至る渋沢栄一翁(1840~1932)の歩みの中で、近代日本経済の草創・確立期に果たした偉大な功績はもとよりのことですが、教育の分野においてもまた多彩な活動の跡が見られます。
早くは明治八年(1875)のこと、東京商法講習所(現一橋大学)の経営に参画しています。これを契機に、その後渋沢栄一翁は一貫して商業教育、実業教育の必要性を説き、その充実・発展に努めました。また、同志社大学・慶応義塾・大倉商業学校(現東京経済大学)・早稲田大学・高千穂学校(現高千穂大学)・二松学舎など、数々の私学の助成にも熱心に取り組みました。
明治十九年(1886)には、折から欧化政策を進めていた総理大臣の伊藤博文(1841~1909)の発案により、主として華族の婦女子を対象とする女子教育奨励会が設立されました。これを母体にして明治二十一年(1888)には東京女学館が創立されます。明治三十四年(1901)には、成瀬仁蔵(18五八~1919)を中心に日本女子大学校が創立されます。渋沢栄一翁はその最初からこれらのことに関わり、以後何かと遅れがちであった女子教育の進展に献身的に寄与しています。
埼玉県に限れば、明治三十五年(1902)に、県下出身学生の修学奨励機関として埼玉学生誘掖会を設立し、会頭としてその死に至るまで尽力しています。地元深谷では、大正十一年(1922)に町民有志の浄財により深谷商業学校(現埼玉県立深谷商業高等学校)が設立されますが、この時に当り渋沢栄一翁は多額の寄附をしています。また、生誕の地血洗島に近い八基尋常高等小学校(現深谷市立八基小学校)については、明治二十九年(1896)の創立以来、とりわけ心にかけ、度々多額の援助を行っています。
渋沢栄一翁自身は、「修身斉家治国平天下」をモットーとする儒教の教えを受け、『論語』をもってその生涯の規範ともしましたが、時代の変化に柔軟に対応する明晰な頭脳と、人の扱いが丁寧で親切心に富みユーモアーにあふれた人柄と、九十一年間の長大な人生を生き抜いた頑健な身体と、それらのものを育み、やがて大きな果実を実らせることになった源は、両親の深く大きな愛情の賜物であるとともに、郷土血洗島が織り成す風土の力、地域の教育力の高さであったと、言えるのではないでしょうか。
(新井慎一 記)
早くは明治八年(1875)のこと、東京商法講習所(現一橋大学)の経営に参画しています。これを契機に、その後渋沢栄一翁は一貫して商業教育、実業教育の必要性を説き、その充実・発展に努めました。また、同志社大学・慶応義塾・大倉商業学校(現東京経済大学)・早稲田大学・高千穂学校(現高千穂大学)・二松学舎など、数々の私学の助成にも熱心に取り組みました。
明治十九年(1886)には、折から欧化政策を進めていた総理大臣の伊藤博文(1841~1909)の発案により、主として華族の婦女子を対象とする女子教育奨励会が設立されました。これを母体にして明治二十一年(1888)には東京女学館が創立されます。明治三十四年(1901)には、成瀬仁蔵(18五八~1919)を中心に日本女子大学校が創立されます。渋沢栄一翁はその最初からこれらのことに関わり、以後何かと遅れがちであった女子教育の進展に献身的に寄与しています。
埼玉県に限れば、明治三十五年(1902)に、県下出身学生の修学奨励機関として埼玉学生誘掖会を設立し、会頭としてその死に至るまで尽力しています。地元深谷では、大正十一年(1922)に町民有志の浄財により深谷商業学校(現埼玉県立深谷商業高等学校)が設立されますが、この時に当り渋沢栄一翁は多額の寄附をしています。また、生誕の地血洗島に近い八基尋常高等小学校(現深谷市立八基小学校)については、明治二十九年(1896)の創立以来、とりわけ心にかけ、度々多額の援助を行っています。
渋沢栄一翁自身は、「修身斉家治国平天下」をモットーとする儒教の教えを受け、『論語』をもってその生涯の規範ともしましたが、時代の変化に柔軟に対応する明晰な頭脳と、人の扱いが丁寧で親切心に富みユーモアーにあふれた人柄と、九十一年間の長大な人生を生き抜いた頑健な身体と、それらのものを育み、やがて大きな果実を実らせることになった源は、両親の深く大きな愛情の賜物であるとともに、郷土血洗島が織り成す風土の力、地域の教育力の高さであったと、言えるのではないでしょうか。
(新井慎一 記)
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-渋沢栄一翁の精神-
渋沢栄一翁が近代日本経済の草創・確立期において絶大な役割を果たしたことは皆様よくご存知のところかと思いますが、その真の偉大さは、「万人が富んでこそ真の社会の富」との信念の下、その実現のために生涯努力し続けたことにあるのではないでしょうか。
地球資源の涸渇化や地球の温暖化等、個人や企業はむろんのこと、国家レベルを超える問題に直面している今、渋沢栄一翁がめざした、互いに助け合い、互いに分かち合う、他者を尊重する互恵的世界観こそ、これからの時代を切り開いて行く基礎となるものであり、世界に向けて発信するに恥ずかしくないものと、確信いたします。
私ども渋沢栄一顕彰事業株式会社は、平成十八年十月、渋沢栄一翁の精神に学び、これを世に広めたいとの思いを共有する市民有志四十六名が集い、設立したものです。株式会社とは名ばかりの、あまりにも小さな会社ですが、渋沢栄一翁を主人公とした映画化の実現をめざし、さらに努力・精進してまいりますので、どうか皆様におかれましては、私どもの志を諒とせられ、ご支援・ご協力を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
渋沢栄一顕彰事業株式会社
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